むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。
そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、
母のその子を慰めるように、 わたしもあなたがたを慰める。 あなたがたはエルサレムで慰めを得る。
もろもろの王は、あなたの養父となり、 その王妃たちは、あなたの乳母となり、 彼らはその顔を地につけて、あなたにひれ伏し、 あなたの足のちりをなめる。 こうして、あなたはわたしが主であることを知る。 わたしを待ち望む者は恥をこうむることがない」。
しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。
さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。
弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。
主は牧者のようにその群れを養い、 そのかいなに小羊をいだき、 そのふところに入れて携えゆき、 乳を飲ませているものをやさしく導かれる。
わたしがこのすべての民を、はらんだのですか。わたしがこれを生んだのですか。そうではないのに、あなたはなぜわたしに『養い親が乳児を抱くように、彼らをふところに抱いて、あなたが彼らの先祖たちに誓われた地に行け』と言われるのですか。
わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。
そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、
ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。